リフトのために必要なものとは?

みずからの不摂生で病気になった者に対して、税金を使って高い手術を施すとは何事か、そんなやり方で彼らを楽にしてやっていいのか、というわけだった。
「大き過ぎてつぶせない」、「つながり過ぎていてつぶせない」の論法が次々とまかり通ってしまっていいのか。 とりたい放題のリスクをとった挙句に、その結果としてのツケは全部、政府が面倒をみてくれる。
銀行にそのようないい思いをさせるために人々は税金を払っているわけではない。 怒りの声が議場を沸かせた。
彼らの怒りのもう一つの種が、ポールソン財務長官のバズーカ砲である。 バズーカ砲に七○○○億ドルという巨額の火力を注ぎ込むのに、それを具体的にどう使うのかについて、明確な構想が示されていなかった。
不良債権買い取り対象となる金融機関の範囲はどうなるのか。 誰が対象範囲をどう決めるのか。
買い取り対象の金融機関には、高い外科手術を受けさせてもらう見返りに、何がしかのリハビリ要件が科せられるのか。 何ら詳細を示さないまま、ただ単に七○○○億ドルをよこせと言ってくるとは何事か。
議会軽視も甚だしい。 議員たちの批判の調子は上がる一方だった。
造反議員たちには、選挙を前に怒れる有権者向けの人気取り狙いもあったには違いない。 だが、確かに法案の出され方はあまりにも乱暴だった。
ウォール・ストリートの暴走がもたらした大波乱の中で、ひたすら彼らを救済するための法案に事実上のフリーパスを与えよというのは、それこそバズーカ砲片手にカネを脅し取るがごときやり方だ。 代表制民主主義の担い手たちである以上、たとえ動機は不純でも、議員たちがこの法案に注文をつけることは彼らの社会的責任だったといえるだろう。
いずれにせよ、TARP法案は預金者保護や個人向け優遇税制などを盛り込む形で修正買い取りか、資本注入かところが、ここからが迷走型モグラたたきの世界である。 何とか死守した不良債権買い取り構想を、政府がみずから早々に棚上げする展開となったのである。

そこに至る皮切りとなったのが、一○月一○日に公表された金融機関への総額二五○○億ドルの資本注入構想である。 不良債権買い取り計画であるはずのTARPの資金で、突如、政府が金融機関の株を購入することになったのである。
TARPが下院を通過したのが一○月三日のことだ。 そのわずか一週間後には、政府がみずからTARPの当初の構想に全く含まれていなかった方向に、金融安定化政策の舵を切り替えたのであった。
しかも、TARP資金を資本注入に充てることについては、「財務長官が必要と認めた場合には、いかなる金融商品でも購入出来る」という買い取り規定の拡大解釈で逃げ切った。 金融機関の株式もまた金融商品だというわけである。
これには、市場も議会も、そして世界も驚いた。 を受け、一○月三日には何とか成立に持ち込まれた。
弱者救済型の修正を受け入れることで、不良債権買い取り構想をともかくも守り抜いたのである。 ここで、不良債権の買い取りと資本注入の政策効果の違いを確認しておこう。
不良債権の買い取りが外科手術なら、資本注入は延命治療だと考えればいい。 外科手術には、たとえ手術は成功しても患者が助からないリスクがつきまとう。
体力の消耗で結局は命を落とす危険を覚悟しておかなければならない。 不良債権を切り取ってもらったことで、金融機関が直ちに与信能力を回復するとは限らない。
公的支援で辛うじて財務諸表を整えたような金融機関が、正常な信用創造の流れの中に早々に受け入れてもらえる保証はない。 半病人だということで、敬遠されるかもしれない。

そうなれば、外科手術をしたことに意味がない。 金融機関が与信力を回復してこその公的支援である。
患者が死んだのでは、本末転倒だ。 しかも、不良債権の買い取りには時間がかかる。
大きな外科手術に時間がかかるのと同じである。 まずは、不良債権という名の癌細胞がどこに潜んでいるかを見極めなければならない。
この癌細胞を除去することに思わぬ波及効果が伴わないかどうかの見極めも必要だ。 さらに厄介なのが買い取り価格の問題である。
放っておけば買い手がつかないようなシロモノを税金を使って買い取るのであるから、これには大いに慎重を要する。 明確な判断基準で透明な価格決定を行わなければならないのだが、それはなかなか難しい。
現に、TARPによる買い取り実施に向けての準備も、不良債権の見極めと買い取り価格問題で難渋した。 結局、買い取り体制が整わないうちに資本注入の方にギヤ・シフトしてしまったのである。
なぜ買い取りにこだわったかこれだけの難点を持つ不良債権買い取りに、当初、財務省がこだわったのは何故か。 おそらく、理由は二つある。
まず、原則論的な観点からいって、金融機関への資本注入は公的介入の色彩が極めて濃厚だ。 政府が株主になるわけであるから、出資比率によっては事実上の国有化である。

そこまでいかずとも、政府が株主の一角を構成しているというのは、いかにも、社会主義的な雰囲気が強い。 金融資本主義のメッカであるウォール・ストリートにこのような体制を持ち込んでいいのか。
アングロ・サクソン資本主義の優位性を標傍する共和党ブッシュ政権が、そのような政策の旗振り役となっていいものか。 そうした跨踏と拒絶感覚が、政策当局の中にあったとしても、当然だ。
しかも、ポールソン財務長官はご本人が元ゴールドマン・サックスの経営幹部だ。 この道に踏み込むことへのためらいがひとしおであっても不思議はない。
当初に資本注入から腰が引けた第二の理由は、完治の保証がないことと、アメリカ政府そのものの体力問題だろう。 両者は無縁ではない。
資本注入という延命のための生命維持装置にはコストがかかる。 しかも、いくら酸素を送り込み、栄養を補給しても、それで患者が息を吹き返す保証はない。
とりあえず生命維持のための基礎的機能を人工的に作動させても、それが自力展開につながっていくとは限らない。 公的資本注入を受けた金融機関は、たしかに与信余力は回復するものの、自力で生きていける体力を回復したわけではない。
しかも、外科手術と違って不良債権という名の癌細胞はそのまま体内に残っている。 このような患者の生命維持に尽力しているうちに、生命維持装置そのものの方に金属疲労や故障が起きたらどうするか。
下手をすれば、ミイラ取りがミイラと化すことになりかねない。 このように、不良債権の買い取りも公的資本注入も、結局のところ、いずれも一長一短である。

その時々の状況に応じていわば次悪の策を選択することとならざるを得ない。 今回のアメリカの場合、要は事態の急速な悪化に対応して、とにもかくにも、金融機関の与信力回復に一応は直結する資本注入方式への切り替えを余儀なくされたということだろう。
さらなる迷走へだが、話はまだここでは終わらない。 結局、二月に入って米国政府はTARPによる不良債権の買い取りを取り止めて、その分の資金を全て資本注入に充てる決断をした。
これが二月三日のことだ。 ところがである。
二月二四日にまた新たな展開があった。 この日、アメリカ政府は世界最大級の金融コングロマリットであるシティグループに対して、TARPを使った損失補填措置を施すと発表した。

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